第29回 ニジンスキー・ガラ 2003年7月6日(日)
ー ルドルフ・ヌレエフの想い出 ー
この年のニジンスキー・ガラはヌレエフが亡くなって10周年ということで、彼に関連した公演になりました。ヌレエフがパリ・オペラ座の芸術監督だったころに、ノイマイヤーに作品を依頼したこともあり、信頼関係が築かれていたようです。また、それ以前にノイマイヤー作品のドン・ジュアン(ドン・ファン)をカナダ(?)で踊ったこともあるそうです。
また、ラヴロフスキー版のロミオとジュリエットが1998年3月6日に亡くなったガリーナ・ウラノワに奉げられています。
指揮:アンドレ・プレセ
演奏:フィルハーモニッシュ・シュターツオーケストラ
第一部 | ||
ルドルフ・ヌレエフのフィルム | ミラノ・スカラ座、ルドルフ・ヌレエフ基金に感謝する。 | |
バッハ組曲 V | 音楽 ヨハン・セバスチャン・バッハ 管弦楽組曲第3番 ニ長調 振付・衣裳 ジョン・ノイマイヤー |
へザー・ユルゲンセン - ロイド・リギンズ ラウラ・カッツァニガ - セバスチャン・ティル エレーヌ・ブシェー - ティアゴ・ボルディン、カトリーヌ・デュモン、 アデラ・ポレルトヴァ - ギド・ヴァルサニー |
ライモンダ より 第三幕のパ・ド・ドゥ |
音楽 アレクサンドル・グラズノフ 振付 ルドルフ・ヌレエフ、マリウス・プティパ 衣裳 ニコラス・ジョルジアディス |
エリザベト・プラテル - ヤン・サイズ パリ・オペラ座バレエ |
海賊 から パ・ド・ドゥ |
音楽 リッカルド・ドリーゴ 振付 マリウス・プティパによる |
エリザベス・ロスカヴィオ - オットー・ブベニチェク |
くるみ割り人形 から 第二幕のパ・ド・ドゥ |
音楽 P.I. チャイコフスキー 振付 ジョン・ノイマイヤー 衣裳 ユルゲン・ローズ ウィルフレッド・ラーツへのお別れ (ソロ・ヴァイオリン) |
ルイーズ アンナ・ポリカルポヴァ ドロッセルマイヤー イヴァン・ウルバン |
ジゼル から パ・ド・ドゥ |
音楽 アドルフ・アダン 振付 ジャン・コラーリ、ジュール・ペロー、 マリウス・プティパ |
ジゼル マリアナ・リツキナ アルブレヒト ニコライ・ツィスカリーゼ モスクワ、ボリショイ劇場バレエ |
第二部 | ||
バッハ組曲 U | 音楽 ヨハン・セバスチャン・バッハ 無伴奏チェロ組曲第3番から サラバンド、ブーレ、ジーグ 原振付 フランシーヌ・ランスロ、ルドルフ・ヌレエフ 改訂 フランシーヌ・ランスロ、カデル・べラルビ チェロ ラファエル・ピドー |
カデル・べラルビ パリ・オペラ座バレエ |
ドン・ジュアンから | 音楽 クリストフ・ウィリバルド・グルック トマス・ルイス・デ・ヴィクトリア 振付 ジョン・ノイマイヤー 衣裳 フィリッポ・サンジュスト |
ドン・ジュアン アレクサンドル・リアブコ 白衣の女性 ジョエル・ブーローニュ |
ガリーナ・ウラノワの命日6日に※ ロミオとジュリエット から パ・ド・ドゥ |
音楽 セルゲイ・プロコフィエフ 振付 レオニード・ラヴロフスキー |
ジュリア アンナ・ポリカルポヴァ ロミオ ピーター・ディングル |
ナルシス から ソロ | 音楽 ニコライ・ツェレプニン 振付 Kassjan Golejswsky |
ニコライ・ツィスカリーゼ ボリショイ劇場バレエ、モスクワ |
さすらう若人の歌 | 音楽 グスタフ・マーラー 振付 モーリス・ベジャール バリトン ステファン・ゲンツ |
マニュエル・ルグリ - ローラン・イレール パリ・オペラ座バレエ |
ヌレエフに 即興 |
音楽 パーカッション フランク・ポルター ピアノ ドミニク・ゴリス 振付 ダンサーたち・・・ジョン・ノイマイヤーのアレンジ |
イリ・ブベニチェク、ナタリア・ホレッチナ、 ニウルカ・モレド、服部有吉、ヨハン・ステグリ |
第三部 | ||
ラ・バヤデール から 影の王国 |
音楽 ルートヴィッヒ・ミンクス 振付 ナタリア・マカロワ、マリウス・プティパ 舞台美術 ピエール・ルイジ・サマリターニ 衣裳 ヨランダ・ゾンアーベント |
ニキヤ ポリーナ・セミョノワ ソロル イリ・ブベニチェク Magdaveya, Haupt-Fakir ボイコ・ドセフ 影 エリザベス・ロスカヴィオ、アンナ・ポリカルポヴァ、 へザー・ユルゲンセン と ハンブルク・バレエ・アンサンブル |
愛が私に語りかけるもの グスタフ・マーラー 交響曲第3番第6楽章から |
音楽 グスタフ・マーラー 交響曲第3番第6楽章 振付 ジョン・ノイマイヤー |
シルヴィア・アッツォーニ - アレクサンドル・リアブコ と ハンブルク・バレエ・アンサンブル |
※ ガリーナ・ウラノワ 1998年3月6日没(ウラノワ命日が、Yさんよりの情報で1998年3月ということが判明。ただ6日というのはこのプログラムから推察したものです。)
この年はカーステン・ユングが怪我をして、彼はガラの最後のマーラーの3番に出てきただけでした。